震災発生時はG市役所内に居ましたが、耐震化された建物とは思えないほど大きな横揺れが数分間続き、この世の終わりなのかと狼狽しました。収まってから市の職員らと一緒に屋外へ脱出。点呼する風景を写真に撮る。家族や同僚の安否、会社は無事なのか、それ以上に刷れんのか?等々、不安が頭の中を過ぎった。しかし、連絡を取ろうにも携帯電話が全く繋がらず、年寄りばかりの弊社ではメールを使いこなせる人間も皆無に等しい(泣)ので、そのまま市の災害対策本部に張り付いて情報を得ることに集中するとにした。


幸いにも人的、物的被害はないことが判明した時点で一旦退出。市役所から比較的近い自宅へ寄って家族の安否を確認、さらに、自室の本棚がちょっとだけ残念な事態になっていることを見届けてから今度は会社へ移動する。市内全域が停電、もちろん信号機も全て落ちていたので普段の約三倍運転に神経を使った。会社や同僚は無事。上司の一人と軽口を叩き合って心を落ち着かせる。ただし、停電で輪転機が動かせない。手の打ちようがないからお前はあちこち回って写真撮ってろ、とのお達しを受け再び市の対策本部へ向かう。


対策本部に到着すると、アウトレットの客が帰宅難民と化してG駅周辺に集まりだしている、との情報に接したので、その足で駅前へ。灯りといえば走る車のライトと警察官の手にする誘導灯だけ、この稼業を18年続けているが暗闇に包まれた駅や街を見るのはモチロン初めて。ショックだった。ホテルや駅前公共施設が開放され、毛布や非常食が振舞われる。その光景を撮ろうと、カメラのファインダーを覗きつつ一瞬だけ躊躇。しかし、これが俺の仕事なのだと言い聞かせシャッターを切った。結局、停電は解消されず、日付が変わる頃に印刷の断念を決断。重い足取りで帰宅する。母と姉とでロウソクを囲んで遅い夕食。無理にでも寝ないとイカンのでベッドに潜り込むも、気持ちが張っているのか結局眠れずじまい。他にも色々とあっとのだが、書くのが躊躇われるので割愛する。